繰下げ受給の基本:なぜ増額されるのか
前回は、2026年の改正で「働きながらもらえる年金」が大きく増えることをお伝えしました。今回は、その改正と組み合わせることで効果が倍増する「繰下げ受給」について、詳しく解説していきます。
繰下げ受給とは?

年金は原則として65歳から受け取れますが、受け取り開始を66歳以降に遅らせる(繰り下げる)ことができます。これを「繰下げ受給」といいます。
繰下げ受給の仕組み
受給開始を1ヶ月遅らせるごとに、年金額が0.7%増額されます。この増額率は一生涯続くのが大きなポイントです。最長で75歳まで繰り下げが可能となっています(2022年4月から)。
なぜ増額されるのか?
「受け取りを遅らせるだけで、なぜ年金が増えるの?」と疑問に思う方もいるでしょう。
理由は簡単です。65歳から受け取り始めれば10年、15年、20年と長期間年金を払い続けることになりますが、70歳や75歳から受け取り始めれば、その分支給期間が短くなります。だから、1回あたりの金額を増やしても帳尻が合う、という計算です。
つまり、繰下げ受給は「受け取り総額」で見ると、長生きすればするほど得になり、早く亡くなれば損になる、という仕組みなのです。
増額率の威力
具体的な増額率を見てみましょう。
【年齢別の増額率】
66歳(1年繰下げ)では8.4%増(0.7% × 12ヶ月)、67歳(2年繰下げ)では16.8%増、68歳(3年繰下げ)では25.2%増、69歳(4年繰下げ)では33.6%増となります。70歳(5年繰下げ)では42.0%増です。
さらに、71歳(6年繰下げ)では50.4%増、72歳(7年繰下げ)では58.8%増、73歳(8年繰下げ)では67.2%増、74歳(9年繰下げ)では75.6%増、そして75歳(10年繰下げ)では84.0%増にもなります。
たとえば、本来65歳から月10万円もらえる年金を75歳まで繰り下げると、月10万円 × 1.84 = 月18.4万円となります。月8.4万円、年間で100万円以上も多く受け取れることになります。しかも、この増額は一生涯続くのです。
終身年金だからこその価値
繰下げ受給の最大の魅力は、終身年金である点です。
民間の個人年金保険では、ここまでの高い増額率で、しかも一生涯にわたって受け取れる商品はほとんどありません。公的年金だからこそ実現できる、非常に有利な仕組みなのです。
特に「人生100年時代」と言われる今、長生きによる資金枯渇(長寿リスク)への備えとして、繰下げ受給は最も確実な選択肢の一つと言えます。
何歳まで生きれば得をする?損益分岐点を知ろう

「でも、いつまで生きられるか分からないから不安…」
これが、繰下げ受給を躊躇する最大の理由です。確かに、繰下げ中に亡くなってしまえば、その分の年金は一切もらえません。
では、何歳まで生きれば「繰下げして良かった」と言えるのでしょうか。
年齢別の損益分岐点
損益分岐点とは、「65歳から受給した場合」と「繰下げて受給した場合」の受給総額が等しくなる年齢のことです。
【70歳から受給開始の場合】
本来の年金額が月10万円(年120万円)、70歳からの年金額が月14.2万円(年170.4万円)と設定して計算すると、損益分岐点は81歳11ヶ月となります。つまり、82歳以降も生きれば、繰下げした方が受給総額が多くなります。
【75歳から受給開始の場合】
本来の年金額が月10万円(年120万円)、75歳からの年金額が月18.4万円(年220.8万円)で計算すると、損益分岐点は86歳11ヶ月です。87歳以降も生きれば、繰下げした方が得になります。
平均寿命から見た現実的な判断
「82歳や87歳まで生きる自信がない…」と思われるかもしれません。実際のデータを見てみましょう。
【日本人の平均寿命(2023年)】
男性は81.09歳、女性は87.14歳です。
【65歳時点での平均余命】
男性は約19.5年(84.5歳まで生きる計算)、女性は約24.4年(89.4歳まで生きる計算)となっています。
この数字から分かることは、男性の場合、70歳繰下げ(損益分岐点82歳)は平均寿命を考えると微妙なライン、75歳繰下げ(損益分岐点87歳)はリスクが高いということです。
一方、女性の場合、70歳繰下げ(損益分岐点82歳)は平均寿命87歳を考えると有利、75歳繰下げ(損益分岐点87歳)はギリギリ元が取れるラインです。
統計的には、特に女性にとって繰下げ受給は有利な選択肢と言えます。
家族歴も考慮に入れる
平均寿命はあくまで「平均」です。自分自身の健康状態や家族の長寿傾向も、判断材料に入れるべきでしょう。
繰下げが向いているケースとしては、両親・祖父母が長寿、現在の健康状態が良好、生活習慣に自信がある、持病や大きな手術歴がない、といった場合が挙げられます。
繰下げを慎重に考えるべきケースとしては、家族に短命の傾向がある、持病を抱えている、過去に大きな病気をした、喫煙習慣がある、といった場合があります。
ただし、「自分は長生きしない」と決めつけるのも危険です。実際には平均寿命よりも長生きする可能性は十分にあります。
在職老齢年金との組み合わせ効果(重要!)

ここからが、今回最も重要なポイントです。
2026年の在職老齢年金改正は、実は繰下げ受給の効果を劇的に高めるのです。多くの方がこの点を見落としていますが、これを理解すれば、改正のメリットを最大限に活かせます。
改正前の問題点:「繰下げの空振り」
在職老齢年金には、繰下げ受給と組み合わせる際の大きな落とし穴がありました。
重要なルールとして、「在職老齢年金によって支給停止された部分は、繰下げ増額の対象外となる」というものがあります。
これはどういう意味でしょうか。具体例で見てみましょう。
【改正前の例:Eさん(65歳男性)】
Eさんは老齢厚生年金が月15万円、給与(総報酬月額相当額)が月45万円、合計60万円という設定です。
改正前(基準51万円)の計算では、超過額が60万円 − 51万円 = 9万円、支給停止額が9万円 ÷ 2 = 4.5万円、実際に支給される額は15万円 − 4.5万円 = 10.5万円となります。
ここで70歳まで繰下げを選択した場合、繰下げ増額の対象となるのは「支給される予定だった10.5万円」のみで、支給停止された4.5万円は増額されません。
70歳からの年金額は、10.5万円 × 1.42(42%増)= 14.9万円に、支給停止されていた4.5万円がそのまま復活するだけで、合計は19.4万円です。
つまり、本来15万円に対して42%増額されるべきところ、実際には10.5万円分にしか増額が適用されないのです。
改正後:繰下げ効果が最大化
では、同じEさんが2026年改正後にはどうなるでしょうか。
改正後(基準62万円)の計算では、合計60万円は基準62万円を下回るため、支給停止額は0円、実際に支給される額は15万円(満額)となります。
70歳まで繰下げを選択した場合、繰下げ増額の対象は15万円全額です。
70歳からの年金額は、15万円 × 1.42(42%増)= 21.3万円となります。
【比較まとめ】
改正前は70歳から月19.4万円、改正後は70歳から月21.3万円です。差額は月1.9万円、年間22.8万円にもなります。
これが5年、10年と続くと、受給総額の差は数百万円に達します。
働きながら繰り下げる戦略の有効性
この改正により、「働きながら繰下げを選択する」という戦略が、非常に有効になりました。
改正前の問題は、働いて給与を得ると年金が減額され、繰下げても増額効果が小さい、「働き損」かつ「繰下げ損」という状態でした。
改正後のメリットは、働いて給与を得ても年金の減額が少なく、繰下げの増額効果が大きいため、65〜70歳は給与でしっかり稼ぎ、70歳以降は増額された年金で安心、という流れが作れることです。
【具体的な戦略例:Fさん(64歳男性)】
Fさんは現在64歳で、65歳から再雇用で70歳まで働く予定です。65〜70歳の給与は月40万円、年金見込額は厚生年金月12万円と基礎年金月6.8万円です。
戦略として、65〜70歳は給与月40万円で働き、厚生年金(月12万円)は70歳まで繰下げ、基礎年金(月6.8万円)は65歳から受給開始します。
65〜70歳の収入は、給与が月40万円、基礎年金が月6.8万円で、合計月46.8万円です。
70歳以降の収入は、厚生年金(42%増額)が12万円 × 1.42 = 17.04万円、基礎年金が6.8万円で、合計月23.84万円となります。
改正により、「働きながら繰下げ」が現実的な選択肢になったのです。
繰下げ受給の注意点とリスク対策

繰下げ受給には大きなメリットがありますが、注意すべき点もあります。
加給年金(家族手当)を失うリスク
加給年金は、「年金版の家族手当」とも呼ばれる制度です。
受給条件は、厚生年金に20年以上加入していること、65歳時点で生計を維持している配偶者または子がいること、配偶者が65歳未満であることです。
支給額は、配偶者加給年金が年額約40万円(月約3.4万円)、子の加給年金が1人目・2人目は各年額約23万円、3人目以降は各年額約7.6万円です。
ここに大きな落とし穴があります。老齢厚生年金を繰り下げている期間中は、加給年金も支給されません。
【Gさん夫婦のケース】
夫は65歳で年金月18万円(厚生年金月12万円+基礎年金月6万円)、妻は60歳の専業主婦、加給年金は年40万円(月3.4万円)という設定です。
夫が厚生年金を70歳まで繰下げた場合、65〜70歳は基礎年金のみ受給で月6万円、加給年金は支給されないため、5年間の損失は40万円 × 5年 = 200万円となります。
70歳以降は、厚生年金(42%増額)が12万円 × 1.42 = 17.04万円、基礎年金が6万円で、合計23.04万円です。ただし妻が65歳になると加給年金は終了します(妻の年金が始まるため)。
結果として、加給年金200万円を失う代わりに、厚生年金が月5.04万円増額されます。200万円 ÷ 5.04万円 = 約40ヶ月(3年4ヶ月)となり、73歳4ヶ月以降は繰下げの方が有利になります。
対策:基礎年金のみ繰下げる選択肢
実は、老齢厚生年金と老齢基礎年金は、別々に繰下げ時期を選択できます。
この仕組みを使えば、加給年金を確保しながら、繰下げのメリットも享受できます。
【賢い戦略:Gさんの場合】
戦略として、老齢厚生年金は65歳から受給開始(加給年金も受給)、老齢基礎年金は70歳まで繰下げとします。
65〜70歳は、厚生年金が月12万円、加給年金が月3.4万円で、合計月15.4万円です。
70歳以降(妻が65歳になるまで)は、厚生年金が月12万円、基礎年金(42%増額)が6万円 × 1.42 = 8.52万円、加給年金が月3.4万円で、合計月23.92万円となります。
70歳以降(妻が65歳以降)は、厚生年金が月12万円、基礎年金(42%増額)が8.52万円で、合計月20.52万円です。
結果として、加給年金200万円を確保しながら、基礎年金は42%増額という、まさに「いいとこ取り」の戦略が実現できます。
遺族年金受給者の新ルール(2028年4月〜)
配偶者を亡くされて遺族厚生年金を受給している方にも、朗報があります。
現行制度の制約として、遺族厚生年金を受給している方は、65歳以降、自分の老齢厚生年金と遺族厚生年金のどちらか高い方を選択する(差額支給)仕組みです。このため、自分の老齢厚生年金を繰り下げることができませんでした。
2028年4月からの新ルールでは、遺族厚生年金を受給している方も、自分の老齢厚生年金を繰り下げできるようになります。
ただし条件があります。遺族厚生年金をまだ請求していない場合に限ります。すでに遺族厚生年金を受給している方は、残念ながら繰下げはできません。今後配偶者を亡くされる可能性がある方は、この選択肢を覚えておくと良いでしょう。
繰下げ判断のチェックリスト

繰下げ受給を検討する際、チェックすべきポイントをまとめました。
☑ 健康状態は良好かとして、持病がない、定期健診で問題がない、日常生活に支障がないかを確認しましょう。
☑ 家族に長寿の傾向があるかとして、両親・祖父母の寿命や家系の病歴を確認しましょう。
☑ 65歳以降の収入は確保できるかとして、給与収入(再雇用、パート等)、事業収入(自営業、フリーランス)、不動産収入・金融資産を確認しましょう。
☑ 貯蓄は十分にあるかとして、65〜70歳(または75歳)までの生活費、医療費・介護費の予備費、緊急時の予備資金を確認しましょう。
☑ 配偶者の年齢差は?として、年齢差が大きい場合は加給年金の影響大、同年代なら加給年金の影響小となります。
☑ 配偶者の年金状況は?として、配偶者の年金見込額や遺族年金の受給可能性を確認しましょう。
まとめ:繰下げ受給の3つの戦略

最後に、今回の内容を3つの戦略にまとめます。
戦略1:働きながら繰下げで最大化
こんな方におすすめ:65歳以降も給与収入がある方、健康状態が良好な方、給与と年金の合計が62万円前後の方
ポイント:在職老齢年金の改正で繰下げ効果がアップしました。65〜70歳は給与で生活し、70歳以降は増額年金で安心という流れが作れます。
戦略2:基礎年金のみ繰下げで加給年金確保
こんな方におすすめ:配偶者との年齢差が大きい方、加給年金の対象者がいる方、65歳から一定の年金収入が欲しい方
ポイント:厚生年金は65歳から受給(加給年金確保)し、基礎年金は70歳まで繰下げ(42%増額)という組み合わせです。
戦略3:75歳まで繰下げで長寿リスクに備える
こんな方におすすめ:家族に長寿の傾向がある方、健康に絶対の自信がある方、65〜75歳の収入・貯蓄が十分な方
ポイント:84%増額の威力は絶大です。ただし損益分岐点は87歳と高めなので、慎重な判断が必要です。
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シリーズ記事リンク
第1回
📝ブログ :
第1回:2026年、あなたの年金はこう変わる【基礎編】
🎥YouTube :
https://www.youtube.com/watch?v=XHICNeyTOc4
第2回
📝ブログ :
第2回:2026年 年金改正、働きながらもらう年金が大きく変わる【実践編】
🎥YouTube :
https://www.youtube.com/watch?v=_3VpkDQLd88
第3回
📝ブログ :
第3回:2026年 年金改正、繰下げ受給で年金を最大化する方法【応用編】
🎥YouTube :
https://www.youtube.com/watch?v=MZi3VtEof94
次回予告(最終回)
次回(第4回・最終回)は、noteにて有料公開(500円)となります。
内容は、税金・社会保険料の負担増への対応、高収入層の標準報酬上限引き上げの影響、年齢・状況別の詳細ケーススタディ(5パターン)、よくある質問Q&A、今すぐできるアクションプランです。
第1〜3回で学んだ知識を、あなた自身の状況に当てはめて最適な戦略を見つけられる、実践的な内容になっています。
【今回のポイント確認PDF】
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【YouTube解説動画】
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